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論文の詳細解説

Molecules That Assemble by Sound:
An Application to the Instant Gelation of Stable Organic Fluids,
T. Naota and H. Koori, J. Am. Chem. Soc., 127, 9324-9325 (2005).


音で集まる分子の発見:安定有機流動体の瞬時ゲル化への応用

低分子の刺激応答性集合はゲル、ミセル、ベシクル、合成分子膜などにおいて、流動性、粘弾性、光透過性、イオン輸送などを制御する将来の技術を創造することを目的に精力的に研究されています(文献1参照)。化学的な刺激を使わずに、分子集合をスイッチングすることを目的に光(文献2参照)や電気化学的(文献3参照)によってこれを制御する研究が行われてきています。しかし、これらを瞬時に、ポジティブ(言い換えると溶液をゲルなど)に、かつ可逆的に制御する手法の開発は、汎用的で有用であるにもかかわらず、チャレンジとして残されています。

音響は、分子の併進運動を強めるものであって、これらの分子集合スイッチングの刺激に用いるのは不適当と信じられてきました。なぜなら、音響は本質的に分子集合の弱い非共有結合性相互作用を破壊するからで、これは食品化学(文献4参照)、写真科学(文献5参照)、ベシクルの基礎研究(文献3c,6参照)、有機金属化学(文献7参照)の分野で分子集合を壊す目的で広く使用されてきました。私たちは、この論文で、超音波を短く照射することで集まるはじめての分子を報告します。集合活性のない2核Pd錯体であるanti-1aは、分子内π-スタッキング相互作用によって安定化していますが、これにきわめて短い超音波を照射すると様々な有機溶媒を瞬間的にゲル化できます。これは、安定なゾルおよびゲル相を瞬時にかつ遠隔で制御したはじめての例です。

anti-1a (n = 5), b (n =6), c (n=7), d (n=8)の分子構造は、オリジナル文献をご覧ください。

anti-1aの様々な有機溶媒による均一でクリアな溶液に数秒の超音波を照射すると、安定な溶液状態は超音波照射のあと直ちにゲル相に変換されます。典型的な具体例を示しますと、anti-1aの1.20 x 10-3 Mのアセトン溶液に超音波照射(0.45 W/cm2, 40 kHz)を298 Kで3秒間施すと、図1に示すように不透明な完全なゲルが得られます。超音波を照射しない場合、同じ溶液は室温で安定なままです。anti-1aの様々な有機溶媒、例えばCCl4 (9.00 x 10-3 M)、1,4-ジオキサン(1.20 x 10-2 M)、酢酸エチル(1.00 x 10-2 M)の溶液もまた10秒のあらかじめの超音波照射で完全かつ瞬時にゲル化しました。他の関連錯体である、syn-1a, anti-1b,syn-1b, anti-1c, syn-1c, 1d、あるいは単核錯体trans-[bis(2-[(pentylimino)methyl]phenolato-N,O-]palladium(II) (2)では、様々な有機溶媒中、どのような濃度、超音波照射時間でもゲル化しませんでした。上記の方法で得られるゲルは安定であり、しかしTgel以上の温度に上げて室温に冷やすと、簡単に元の安定な溶液に戻ります。このゾル-ゲル相転移は、錯体の単純な配座変化だけで起こっているので、ゲル化剤は劣化することなく、これを半永久的に繰り返すことができるのです。これは、安定なゾル-ゲル相を遠隔でスイッチングする初めての瞬間的で、ポジティブで、可逆的な方法です(文献8参照)。これまでの方法では、モノマー単位の量論的分子変換に時間がかかり(文献2,3参照)、かつ、そのほとんどの方法が、分子集合を溶液状態に戻すネガティブスイッチングです(文献2a-c, 3a,b)。このゲル化は、超音波を照射したときだけ起こり、ほかの外部刺激、例えば激しい攪拌、急過熱と急冷却、マイクロ波照射などでは分子集合は始まりません。

図1. 293 Kにおけるanti-1aのアセトン中での状態。(a) 超音波を照射しないときの長期安定溶液状態。(b) 超音波照射(0.45 W/cm2, 40 kHz, 3秒)直後のゲル状態。写真はオリジナル文献をご覧ください。

この新しいスイッチングゲル化は不透明ゲルの生成の間のUVの700nmのベースラインの吸光度の時間変化で視覚化できます。図2aにanti-1aのアセトン希薄溶液の制御されたゲル化プロファイルを示します。元々の溶液の安定性、そしてそこへ超音波を照射した際の応答性は、0-10秒の超音波照射の3つの典型的カーブで明示されています。同様のスイッチングプロファイルは、酢酸エチル、1,4-ジオキサン、CCl4、トルエンなど様々な有機流動体のゲル化で観測されます。特筆すべきことは、それぞれの場合に、分子集合の速度は、超音波照射時間を調整することで「ゲル化しない」から「瞬時ゲル化」まで細かく、しかし劇的に制御できるということです。これまでの自己組織化の速度は、静的なパラメータ、例えば、温度、濃度、溶媒種類、添加剤などにのみ依存して変化するものでした。ここで示した分子集合の動的な速度制御は、この化学の分野では新しく、また有用なものです。これとは全く対照的に、上で述べたこれまでの分子集合(文献4-7参照)では、超音波は逆効果に働きます。典型的な市販ゲル化剤のN-lauroyl-L-glutamic acid di-n-butylamide (3)のアセトン溶液におけるゲル化プロファイルを図2bに示します。超音波がおそらく水素結合による初期段階の分子集合を壊すため、あらかじめ短い超音波を照射したただけでも著しくゲル化が阻害されていることがわかります。

図2.700 nmのベースライン吸光度で評価したanti-1a ((a) 7.23 x 10-3 M)および3 ((b) 7.00 x 10-3 M)のアセトン溶液の293 Kにおける対照的ゲル化プロファイル。それぞれのカーブは超音波(0.45 W/cm2, 40 kHz, 0-15秒)のあらかじめの照射直後の結果を示しています。プロファイルはオリジナル文献をご覧ください。

驚くべきことに、光学的に純粋な(-)-anti-1a (100%ee, [a]27D -375 (c 0.014, CHCl3)) はどのような有機溶媒をも、たとえ超音波照射を長くした後もゲル化させないのです。ゲル化とキラリティーの関係を理解するために、42%eeの(-)-anti-1aの1.50 x 10-2 Mのベンゼン溶液のゲル化プロファイルを部分ゲルと残った溶液の双方から得たanti-1aの光学活性を評価することでモニターしました。図3aに示すように、ゲル内のanti-1aの鏡像体過剰率はゲル化のどの段階においてもほとんど0%であり、溶液中のそれはラセミ体として減少していくときの理論曲線{42/[100-(ゲルから得たanti-1aのmol%) x 100}に従って増加しました。この結果は、(+)-および(-)-体のモノマー単位が、全ゲル化プロセスの間中、ほぼ完全に交互にスタッキングしていることを示しています。これは、ゾル相からゲル相に渡ってヘテロキラル会合(RSRSRS)が起こっている明白なケースです。ホモキラル会合は溶液(文献9参照)、ゲル(文献10参照)、液晶(文献11参照)で多くの例が報告されているのですが、ヘテロキラル会合はきわめて珍しい現象です。

図3 (a) (-)-anti-1a (42 %ee) の1.50 x 10-2 M ベンゼン溶液の超音波照射(0.45 W/cm2, 40 kHz, 10秒)後のゲル化の間の部分ゲル(赤点)と残りの溶液(青点)内のanti-1aの鏡像体過剰率。 (b)分子内π-スタッキングと対面する折れ曲がった配位平面を示すanti-1aの分子構造。グラフとデータは オリジナル文献をご覧ください。

一連の錯体1および単核錯体2が溶液中で集合活性を持たないことは、1H NMR分析によって確認されています。CDCl3やbenzene-d6中293 Kで、そのすべてのシグナルの化学シフトに濃度依存性はありません。しかし、toluene-d8中、anti-1aのNHaHbのdddシグナルは、それらのコアレス温度188および198K以下では、1:1に分裂し、これよりanti-1aでは特異的に分子内π-スタッキング相互作用によるフリッピング動作が起こることが確認されました。フリッピング動作における活性化パラメーターdH‡ および dS‡は、1H NMRの線形法より見積もられたフリッピング速度のEyring関係式から35 ± 2 kJ・mol-1 および 0.5 ± 12 J・K-1・mol-1と決定しました。X線回折で、特異的にスタッキングしたanti-1aの分子構造が明確に示されました(図3b)。対面する羽の芳香族部位は典型的なスタッキング距離3.4-3.7 Å以内にあります。これは、C-N-Pd-Oの2面体角で最大22.6°(結晶データは文献12参照)外側に曲がることで達成されています。長いメチレンスペーサーを持つanti-1cの、スタッキングしない、平面的な羽の構造から比べると対照的です(文献12参照)。anti-1aのシクロへキサン溶液のILCT帯(235 nm)とMLCT 帯(390 nm)は平面性の高いanti-1cや2のそれらと比べてもっと吸収強度が弱く(hypochromic)、これは溶液中でのanti-1aのスタッキング挙動が配位羽部分の平面性が減少することと同時に起こっていることを示しています。

次に、短い超音波照射(0.31 W/cm2, 44 kHz, 5秒)の後、透明なゲルを与える4.00 x 10-4 M のanti-1aのシクロヘキサン溶液のUV-Vis分析によってゲル化プロセスを調べました。すべてのゲル化プロセス中一貫して、シャープな等吸収点を268 nmに持ちながらILCT吸収は減少し、MLCT吸収は増加しました。吸収強度の変化は、anti-1a がもっとスタックした、平面性の高い配座を取り入れていっていることを示していますので、これらの事実は、ゲル化プロセスが平面性の高いモノマー単位がお互いに連続的にはまり込む(相互貫入)形のスタッキングによって進行していることを強く示唆しています。anti-1bの結晶のパターンのX線結晶構造解析でこの新しいπ-スタッキングの様式の存在が示されています(結晶データは文献12参照)。

この音響によって誘起されるゲル化は以下に示す前例のない集合重合の様式で進行するとして合理的に説明することができます。超音波照射をしない状態では、anti-1a錯体はその洗濯バサミ型の曲がった配座によって分子集合が阻害されています。短い超音波照射によってヘテロキラルで内部貫入で会合した、剛直な7Åの空孔を持つ2量体が生成し、セルフロック-インターロック変換による重合が開始されます。この際の長寿命の開始種は残っている大過剰のモノマー単位とヘテロキラルの連鎖的会合を起こします。このプロセスは超音波照射が終了しても起こり、その成長反応で相当する集合ポリマーが生成します。この反応の全体像や反応機構解明、他のシステムへの応用などに向けて、研究は現在進行中です。

オリジナル論文のACS web siteからいつまでも安定な溶液が超音波の短い照射で瞬時にゲル化するムービー(31.8 MB, mpeg)をダウンロードできます(ACS閲覧権が必要)。いままで一度も人類が遭遇したことのない現象ですので、一見の価値はあると思います。