というわけで論文がJPCに受理されたのでデータを公開します。ああ、うれしいな〜(^_^)/
とは言っても、Cr:Fレーザーで測定できるものを片っ端から測定したら、こんなん出ました〜ってな感じの論文です。
この論文は3パルスフォトンエコーのピークシフト(3PEPS)測定という方法で溶媒和ダイナミクスの時間スケールを測定した場合、観測結果にどのような溶質分子の影響があるかを調べたものです。
溶媒和ダイナミクスを蛍光の動的ストークスシフト(FDSS)から求めようとした場合、
というスペクトルのシフト相関関数として求められます。ここでn(t)
はある時間tにおける蛍光スペクトルのピークの周波数です。
またホールバーニングよりホールの広がっていく様子から
という線幅広がりの相関関数を求めることもできます。これらの相関関数はある極限で電子遷移周波数の揺らぎの相関関数、
と一致します。フォトンエコーのピークシフトt*(t)とM(t)の関係は、
となります。ここでMslow(t)とはM(t)の遅い部分を表しています。つまり3PEPSを測定すれば、拡散的な溶媒和ダイナミクスの遅い成分についての時間スケールがわかるわけです。
しかし、溶媒和を調べるには必ず溶媒の中に溶質分子を溶かし込まないといけないので、観測されるダイナミクスには必ず溶質分子の影響が出てきます。
図1 そこで上記のような色々な色素分子を使って3PEPSの溶質分子依存性を調べてみることにしました。
図2 キサンテン色素オキサジン4(OX4)、ナイルブルー(NB)、ローダミン700(Rh700)、オキサジン170(OX170)、オキサジン1(OX1)、オキサジン750(OX750)のメタノール溶液の吸収・蛍光スペクトルです。比較のためレーザースペクトルも重ね書きしてあります。OX4
< OX170 < NB < OX1 < Rh700 < OX750の順番にスペクトルが長波長側にシフトしているのがわかります。レーザースペクトルは中心波長635nmに固定してあります。
図3 スチリル色素スチリル7(St7)とスチリル6(St6)のメタノール溶液の吸収・蛍光スペクトルです。キサンテン色素に比べて吸収と蛍光のピークの間のストークスシフトが大きいことが特徴的です。つまりこれらの色素の方が極性が高いことがわかります。
図4 OX4のメタノール溶液の縮退4光波混合信号をcoherence
periodを横軸に、population periodを縦軸にとって2次元プロットしたものです。-k1+k2+k3とk1-k2+k3の位相整合条件を満たす方向に現われた2つの信号です。きれいに見えますが、この信号自体にはあまり有益な情報は含まれていません。
図5 図4の信号の横軸方向の断面図です。エコー信号のピークは横軸の時間原点からずれていることがわかります。またpopulation
period (T)が長くなると、ピークが時間原点に近付いていくのがわかります。そこで時間原点からのピークのずれをTの関数としてプロットしたものが3パルスエコーのピークシフト(3PEPS)信号になるわけです。
図6 ピーク位置をTの関数としてプロットしたキサンテン色素の3PEPS信号です。Tが大きくなると振動しながらピークシフトが減衰していくのがわかります。振動はコヒーレントな分子内振動が3PEPS信号に現われていることを意味します。ピコ秒領域の減衰には溶媒和過程が現われています。初期ピークシフトの値はOX4
> OX170 > NB > OX1 > Rh700 > OX750の順番に小さくなり、信号の減衰速度も同様な順番で速くなっています。この結果を図2と比べると、吸収スペクトルの短波長側を励起するほど、初期ピークシフトの値は小さくなり、信号の減衰速度も速くなるということがわかります。つまり3PEPS信号の減衰は吸収スペクトルのどの部分を励起するかに依存しています。
図7 スチリル色素のメタノール溶液の3PEPS信号です。ピークシフトは急速に減衰していることがわかります。またスチリル7の場合は一度減衰したピークシフトが再び増加しているのがわかります。この分子ではどうも光異性化反応が起こっているようで、異性体の生成が不均一性の増加としてとらえられ、ピークシフトの増加をもたらしているようです。
図8 色素のメタノール溶液のポンプ・プローブ信号も測定してみました。キサンテン色素の信号はコヒーレント振動によって激しく変動しているのがわかります。スチリル色素はキサンテン色素に比べて時間原点付近の超高速減衰(コヒーレントスパイク)の強度が大きいことがわかります。
図9 キサンテン色素のポンプ・プローブ信号をフーリエ変換したものの実数部です。560-600cm-1あたりに現われている強い振動はキサンテン色素に特徴的な面外変角振動です。どうも励起状態の振動は出ていないようで、全部基底状態の振動に帰属できるようです。これらの振動を含めて3PEPSの測定結果の解析を行ないました。
図10 スチルリ色素のポンプ・プローブ信号についてもフーリエ変換すると、160-170cm-1あたりに特徴的な振動が現われます。
図11 (a)キサンテン色素の3PEPS信号から求めたM(t)と(b)ポンプ・プローブ信号から求めたM'(t)です。M'(t)は色素の励起状態の減衰よりも速い減衰成分をポンプ・プローブ信号から抽出したものです。どちらも似たような挙動を示していることがわかります。つまりオキサジン4とオキサジン170についてピコ秒減衰成分の強度が一番強くて、ローダミン700とオキサジン750について一番弱いということです。
図12 (a)オキサジン4と(b)ローダミン700のポンプ・プローブ信号を波長分解して測定してみました。オキサジン4については短波長側で速い減衰成分が現れるのに対し、ローダミン700では長波長側で現れることがわかります。これを図2のスペクトルと比較してみると、観測波長が蛍光スペクトルの短波長側と一致した時に速い減衰成分が現れることがわかります。励起状態での緩和過程は蛍光には動的ストークスシフトとして現れます。動的ストークスシフトにより、蛍光は時間とともに長波長側にシフトしていきますが、短波長側で蛍光をみると速い減衰が現れ、長波長側ではライズが現れます。ポンプ・プローブ信号には過渡吸収や基底状態のブリーチのみではなく、蛍光の誘導放出も現れます。そこで、ポンプ・プローブ信号で見える速い減衰も蛍光の動的ストークスシフト、つまり励起状態での緩和によるものであると考えられます。
図13 さて以上の現象を説明するために励起状態のダイナミクスがどのような励起波長依存性を示すか考えてみます。もし(a)のように吸収の長波長側を励起すると、励起状態の初期分布はそのポテンシャルの底に近い所に生成します。よって励起状態における熱緩和には分布の広がりがおもに関与します。これに対し、(b)のように短波長側を励起すると、熱緩和には分布のシフトが大きく関与するようになります。このシフトが大きいと、レーザーのバンド幅で規定される「観測窓」から励起状態での分布はすぐにはみ出てしまいます。そうすると、この場合は速い減衰成分のみが観測にかかり、遅い成分は見逃される可能性があります。ローダミン700、オキサジン750やスチリル色素で観測される強くて速い減衰成分はこれが原因なのかも知れません。さらに(b)の場合は励起状態の高振動状態に励起してしまうため、振動緩和過程が信号に混入する可能性があります。つまり、3PEPS法で溶媒和ダイナミクスを正確に観測するにはストークスシフトの小さい(極性の低い)溶質分子を用いて、その0-0遷移付近を励起して実験する必要があるのです。また非線形なカップリングや非調和性が存在する時はシフトから求めた相関関数と線幅広がりから求めた相関関数は一致しないかもしれません。