フェノールブルーのページ

(ブリリアントグリーンという名前のバンドはありますが、フェノールブルーというのはありませんねえ。ちなみにヒステリックブルーという名前の色素はないみたいです。)

"Solvent dependence of the ultrafast ground state
recovery dynamics of phenol blue"
,
Yutaka Nagasawa, Ayako Watanabe, Yoshito Ando and Tadashi Okada,
J. Mol. Liquids, Volume 90, Issues 1-3, p. 295-302.
2001/5/26 更新

1. 緒言
フェノールブルー(PB)はソルバトクロミズムを示す色素である[1]。図1に示すように溶媒により吸収スペクトルが変化する。これは図2に示したように光励起とともにPBの双極子モーメントが増大するためである。また最近共鳴ラマン散乱の研究が盛んに行われている[2-4]。その結果C=N伸縮振動の振動数が極性溶媒中では励起波長に依存することがわかった。この励起波長依存性は溶媒和の不均一性が原因であると結論された。このような不均一な系における無輻射失活過程と溶媒和の関係を研究するために超高速単一波長ポンププローブ(PP)分光を行った。

図1 PBの各種溶媒中での吸収スペクトルと635nmの励起レーザーのスペクトル。EtAc:酢酸エチル、Benz:ベンゼン、ACN:アセトニトリル、BuOH:1-ブタノール、MeOH:メタノール、EtGl:エチレングリコール。

図2 PBの分子構造。

2. 実験
PP信号の測定系はTPM色素の測定の時と同様なものを使い、同様な実験条件で行った。PBは再結晶してから測定に用いた。

図3 635nm励起のPBの各種溶媒中でのPP信号の減衰。

3. 実験結果
図3に各種溶媒中でのPP信号の減衰を示す。 信号に現れてる細かいうねりはノイズではなく、量子ビートである。ベンゼン中でのビートが一番よく現れている。水素結合性溶媒中では減衰は遅く、無極性溶媒では速い。最大で3つの減衰と5つの振動でフィッティングすることが可能である。フィッティングパラメータが多すぎるためコンボルーションフィッティングは行っていない。また振動数に関してはフーリエ変換も行っている。図6に635nm励起のPBの各種溶媒中でのPP信号のフーリエ変換スペクトルの実数部を示してある。

4. 考察
図3を見てわかるようにPBのPP信号は溶媒によって大きく変化する。表Iを見ると一番速い成分は常に300fs程度でどの溶媒にも現れている。これよりも遅い成分が溶媒依存性を示しているように見える。しかしPBはソルバトクロミズムを示す色素なので吸収の位置が溶媒により大きく異なる。図2のように水素結合性溶媒では吸収ピークの近くを励起しているが、無極性溶媒ではスペクトルの長波長側を励起している。溶媒依存性のみでなく、吸収スペクトルのどこを励起するかで結果が異なる可能性がある。その点メタノールと1-ブタノールでは吸収のピーク波長は4nmしか変化してないので、真の溶媒依存性が観測できる可能性がある。そこで図4の規格化された信号を見てみるとメタノールと1-ブタノールは10ps以上の長時間領域ではほとんど重なってしまうことがわかる。つまり一番遅い成分は溶媒依存性がないのである。しかも図4を見てみるとエチレングリコールはメタノールや1-ブタノールよりも速く減衰しているように見えるが、表Iの一番遅い減衰成分を見てみるとその時定数は10psとメタノールの時定数と変わらない。つまり一番遅い成分の強度は減少しているが、時定数は変化してないのである。一番遅い成分は水素結合性溶媒中では溶媒依存性をほとんど示さない。この一番遅い成分は非水素結合性溶媒で635nm励起の場合は現れていない。しかしこれらの溶媒では吸収の位置がかなり異なるので励起波長を変えた時に遅い成分が現れる可能性がある。そこで図5のようにベンゼン溶液について630nm励起の実験も行ってみた。その結果わずかではあるが、時定数14psの遅い成分が現れた。このことより吸収ピークの近くを励起すればどの溶媒でも遅い成分が現れる可能性があることがわかった。

図4 635nm励起のPBの各種溶媒中でのPP信号の長時間スキャン。

以上のことより遅い成分は顕著な溶媒依存性は示さないことがわかった。そこで次に図6に示すように規格化したメタノールと1-ブタノール溶液中の信号の短時間領域を比較してみる。すると1-ブタノール溶媒の方が減衰が遅いことがわかる。1-ブタノールの粘度は2.9cPであるのに対し、メタノールのそれは0.6cPである。1-ブタノールの溶媒和にかかる平均時間は63psであるがメタノールはわずか5psである[5]。よって溶媒依存性は遅いところよりむしろ速いところ(特に二番目の成分)に出ていることがわかる。
次にこれら減衰成分の帰属について考えてみる。一番目と二番目の速い成分は励起状態の失活過程に関与していると考えられる。なぜなら、(1)蛍光の誘導放出の寄与が大きい吸収スペクトルの長波長側を励起した時には一番目の成分しか現れない。(2)二番目の成分は明らかな溶媒依存性を示し、無極性溶媒には現れない。励起状態の失活過程は電荷の再結合を伴うので溶媒和時間や粘度に依存することが期待される。
これに対し、遅い成分について解っていることは(1)溶媒依存性はない、(2)吸収のピーク付近を励起した時のみに現れる、という2点である。溶媒依存性がないということは励起状態の失活が関与している可能性は小さい。なぜなら電荷再結合を伴う反応は溶媒和過程に少なからずとも影響を受けるはずである。また誘導放出の寄与の大きい吸収スペクトルの長波長側励起の時に現れないのもこの結論を指示する。一番遅い成分は基底状態のダイナミクスに起因すると考えるのが妥当である。もし基底状態に反応中間体がいるとしたらその正体はなんであろうか。PBはその単純な構造から構造異性体を考えるのは難しい。水素結合の関与等も考えられるが、 630nm励起のベンゼン溶液でわずかに遅い成分が現れており、水素結合の関与については否定的な結果が出ている。他の溶媒についても励起波長依存性の実験をしなくてはならない。その他に考えられることとしては基底状態の振動緩和がある。励起状態の超高速無輻射失活の後、基底状態の高振動励起状態が生じその緩和に10ps程度かかると考えるのである。このモデルでは吸収のピーク付近を励起した時のみに遅い成分が現れる理由を説明できる。吸収スペクトルの長波長側を励起すると1-0遷移等のホットバンドを励起するので基底状態での振動緩和である遅い成分が現れないのである。

図5 PBのベンゼン中でのPP信号の減衰。635nmと630nm励起の比較。

図7に635nm励起のPBの各種溶媒中でのPP信号のフーリエ変換スペクトルの実数部を示す。無極性溶媒中で70cm-1と358cm-1にあるモードは極性溶媒では102cm-1と379cm-1にシフトしている。また508cm-1のモードは無極性溶媒のみに現れる。振動モードのシフトは高振動数の共鳴ラマンスペクトルでも報告されているので低振動数モードで観測されても不思議ではない。しかし、我々の提唱したように基底状態で遅い振動緩和過程があるとすると、振動数シフトの原因は溶媒和状態の不均一性ではなく、溶質の構造や電子状態の不均一性ではないかと考えられる。なぜなら遅い減衰成分は溶媒に依存しないからである。
ここで我々が提唱したモデルを裏付けるにはさらなる実験が必要である。特に2色のPP信号測定が有効な実験であろう。吸収のピーク付近をポンプして吸収スペクトルの長波長側をプローブすれば、もし遅い減衰が振動緩和に起因するものであれば負の信号が観測されるはずである。励起状態が無輻射失活することによって生じる基底状態の高振動状態は吸収スペクトルの長波長側で負の信号として観測されるからである。

図6 635nm励起のPBのメタノールと1-ブタノール溶媒中でのPP信号の減衰。

図7 635nm励起のPBの各種溶媒中でのPP信号のフーリエ変換スペクトルの実数部。

参考文献
[1] J. Figueras, J. Am. Chem. Soc. 93 (1971) 3255.
[2] T. Yamaguchi, Y. Kimura, and N. Hirota, J. Chem. Phys. 109 (1998) 9075.
[3] T. Yamaguchi, Y. Kimura, and N. Hirota, J. Phys. Chem. A 101 (1997) 9050.
[4] T. Yamaguchi, Y. Kimura, and N. Hirota, J. Chem. Phys. 109 (1998) 9084.
[5] M. L. Horng, J. A. Gardecki, A. Papazyan, and M. Maroncelli, J. Phys. Chem. 99 (1995) 17311.


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