我々が目指すもの
我々の生活は,多種多様な有機化合物に支えられて成り立っています(医薬・農薬、高分子材料・電子材料、生体関連物質など)。有機合成化学は,そのような有機化合物を自由自在に合成することができる唯一無二の学問であり,現代の人類社会の根幹を成す「分子レベルのモノづくり」といえるでしょう。物質科学・情報科学の発展に伴い,必要とされる物質の機能・構造がますます複雑化・多様化する一方で,資源問題や環境問題の顕在化によって,物質合成に課される制約(資源,エネルギー,廃棄物)はますます厳しくなっています。分子を創ることができる有機合成化学の役割は重要性を増しており,分子合成手法のさらなる革新が求められています。
当研究室では,そのモノづくり技術革新の鍵となる「新しい分子触媒や反応活性種の創製」と「新しい分子変換反応の開発」を両輪とする有機合成化学研究に取り組んでいます。新しい分子変換反応とは,これまで実現することができなかった高難度反応や,ともすると“常識外れ”と言われるような反応,見た人がアッと驚く反応であり,もし実現できれば既存の物質合成化学を大きく刷新する可能性を秘めています。しかしこのような新反応は,試薬会社で売っている既存の触媒や,教科書に載っている既存の反応の組み合わせでは到底実現できません。我々は,これまでに無い優れた機能を備えたオリジナルの遷移金属触媒や反応活性種を自ら創製し,その反応性・振る舞いを深く理解し使いこなすことで,そのような革新的分子反応の開発に挑んでいます。研究活動において我々が特にこだわっているのは「ゼロからイチの創出」です。新しい分子・現象・原理の発見・開発に基づいた学術的基礎研究こそが,未来の人類社会に貢献する重要な科学技術に大成し,また未来を担う優秀な研究者育成につながるとの信念の下,研究教育に取り組んでいます。
研究内容
現在,主に以下の4つの研究テーマに取り組んでいます。我々の研究室では,単なる反応開発だけでなく,金属錯体の合成や構造解析,反応機構解析,理論計算,我々の反応を活用した機能性分子の開発など,様々なことに取り組みながら研究を進めています。これら以外の現在進行中の研究プロジェクトも多数ありますので,我々の研究内容に興味がある方,より詳しい内容が知りたい方は,ぜひ研究室見学にいらして下さい。
1)金属−金属結合の触媒機能の開拓
クロスカップリング反応を始めとする通常の金属触媒反応では,1つの金属原子が触媒として働きます。しかし,周期表上の限られたごく一部の貴金属に依存した現代の物質合成は,触媒機能の点でいずれ限界を迎えることになります。我々は,独自に開発した鋳型配位子を用いることで、金属−金属結合をもつ異種金属二核錯体の精密自在合成法を確立しました。これにより,周期表上の様々な2つの金属を組み合わせた新しい金属触媒ライブラリーが創出可能です。2つの金属が織りなす特異な電子状態・酸化状態,協働的な分子活性化・分子変換などを利用することで,従来の単核金属触媒では実現できなかった合成反応の開発や,従来触媒を凌駕する超高活性触媒の創出などを目指して研究を行っています。
一例として,bis(phosphino)terpyridine誘導体やpyridylCp*を鋳型分子とすることで,13族金属と遷移金属,さらには2つの異なる遷移金属を組み合わせた様々な異種金属二核錯体の合成と構造解析に成功し,これらが二酸化炭素をはじめとする不活性分子の変換反応や,炭素−水素結合活性化反応などにおいて優れた触媒活性を示すことを明らかとしました。他にも,様々な遷移金属同士の組み合わせによる特異な電子状態制御の実現や,金属3つ以上へと拡張した触媒開発,これらを利用した不活性分子の効率的分子変換反応の開発などに取り組んでいます。我々の強みは,有機合成化学の強みを活かした“分子合成力”によって,多種多様な金属−金属結合を精密自在合成できる点にあります。独自の金属多核錯体ライブラリーを基に金属協働触媒の学理を確立し,新しい有機合成化学・金属触媒化学を開拓することを目指しています。
参考文献
- Synthesis, Structure, and Catalysis of Palladium Complexes Bearing a Group 13 Metalloligand: Remarkable Effect of an Aluminum-Metalloligand in Hydrosilylation of CO2, J. Takaya and N. Iwasawa, J. Am. Chem. Soc., 139, 6074 (2017).
- Stabilized Gallylene in a Pincer Type Ligand: Synthesis, Structure, and Reactivity of PGaIP-Ir ComplexesN. Saito, J. Takaya, N. Iwasawa, Angew. Chem., Int. Ed. 58, 9998 (2019).
- Rhodium-Catalyzed C−H Activation Enabled by an Indium Metalloligand, R. Yamada, N. Iwasawa, J. Takaya, Angew. Chem., Int. Ed., 58, 17251 (2019).
- Rhodium-Catalyzed Chemoselective Hydrosilylation of Nitriles to an Imine Oxidation Level Enabled by a Pincer-type Group 13 Metallylene Ligand, Jun Takaya, Koki Ogawa, Ryota Nakaya, Nobuharu Iwasawa, ACS Catal., 10, 12223 (2020).
- Catalysis of Transition Metal Complexes Featuring Main Group Metal and Metalloid Compounds as Supporting Ligands, J. Takaya, Chem. Sci., 12, 1964 (2021).(総説)
- Tuning Photoredox Catalysis of Ruthenium with Palladium: Synthesis of Heterobimetallic Ru–Pd Complexes that Enable Efficient Photochemical Reduction of CO2, S. Yang, Y. Morita, Y. Nakamura, N. Iwasawa, J. Takaya, J. Am. Chem. Soc. 146, 12288 (2024).
2)Ambiphilic典型元素化合物の反応化学
炭素−水素結合や炭素−炭素結合に代表される不活性結合の切断反応は,石油資源である単純炭化水素分子の直接変換につながるものとして重要です。通常このような不活性結合を切断するには,極めて高い反応性をもつ遷移金属錯体(特に希少な貴金属)が必要とされます。一方で,炭素に限らず様々な元素資源の枯渇や局在化は大きな問題となっており,化学者が解決すべき喫緊の課題となっています。
我々は,複数の有機典型元素や典型金属元素,光エネルギーを協働的に利用することで新しい高反応性活性種を創出し,希少な遷移金属元素に頼らない不活性結合変換反応や,高効率的かつ省資源型の革新的物質合成法の開発を目指した研究を行っています。一例として,ルイス塩基性のリン原子とルイス酸性のホウ素原子を併せ持つAmbiphilicホスフィン−ボラン化合物の効率的合成法の開発を基点とし,その光反応性を新たに開拓することで,ホウ素による不活性炭素−炭素結合切断を伴う新奇反応を実現しました。これは,Frustrated Lewis Pairsの光反応性を明らかにした初の例であり,現在,その鍵活性種を利用した新たな反応開発に取り組んでいます。また,Ambiphilicホスフィン−亜鉛化合物の効率的合成法を確立し,それをAmbiphilic配位子として利用した遷移金属錯体化学も開拓中です。
参考文献
- Ruthenium‐Catalyzed ortho C−H Borylation of Arylphosphines, K. Fukuda, N. Iwasawa, J. Takaya, Angew. Chem., Int. Ed. 58, 2850 (2019).
- Photo-Promoted Skeletal Rearrangement of Phosphine-Borane Frustrated Lewis Pairs Involving Cleavage of Unstrained C–C σ–Bonds, T. Ito, N. Iwasawa and J. Takaya, Angew. Chem., Int. Ed., 59, 11913 (2020).
- Facile Synthesis and Utilization of Bis(o-phosphinophenyl)zinc as Isolable PZnP-pincer Ligands Enabled by Boron-Zinc Double Transmetallation, K. Fukuda, T. Harada, N. Iwasawa, J. Takaya, Dalton Trans., 51, 7035 (2022).
- Reversible Boron-insertion into Aromatic C–C Bonds, K. Kuroki, T. Ito, J. Takaya, Angew. Chem., Int. Ed., 62, e202312980 (2023).
3)古典的有機光反応化学の刷新
光エネルギーと遷移金属触媒作用などを協働的に利用した様々な不活性結合・不活性分子の革新的分子変換反応の開発に取り組んでいます。例えば最近私たちは,様々なアリールアルキルケトン誘導体とピナコールボラン(HBpin)に対して,365 nmの光照射かつ加熱条件下でロジウム触媒を作用させると,アリールボロン酸エステルが良好な収率で得られることを見出しました。これは,単純ケトンのアシル基炭素−炭素σ結合を直接的に切断して分子間アリール化を実現した初の例です。本反応では,ケトンのNorrish I型反応によって生じたアシルラジカルがロジウム触媒によって捕捉され,脱カルボニル/C–B結合の還元的脱離を起こすことで生成物が得られます。これは,古典的な有機光反応であるNorrish I型反応と遷移金属触媒反応を融合した新しい反応制御法であり,炭素−炭素σ結合変換反応を実現するための新手法として極めて有望です。本コンセプトに基づき,様々な”教科書に載っていない新反応”を開発中です。
参考文献
- Merging the Norrish Type I Reaction and Transition Metal Catalysis: Photo- and Rh-Promoted Borylation of C–C σ-Bonds of Aryl Ketones,Y. Fujimaki, N. Iwasawa, J. Takaya, Chem. Sci.,14, 1960 (2023).
4)合成スピン化学:安定開殻π電子系分子の創製と機能の探求
スピンをもつπ電子系分子 (開殻π電子系分子) は特異な電子構造に由来する多機能性をもつことから、常に学際的な研究が盛んに行われています。特に安定な開殻π電子系分子の設計・合成は構造物性相関を明らかにする上で重要であり、また、実際に機能を調査する上で必須です。私たちは構造有機化学・物性有機化学を基盤とした空気中でも分解しない安定な新奇開殻π電子系分子に関する研究を行なっています。具体的には、1) ニトロニルニトロキシド誘導体の新規合成法の開拓、2) 安定基底多重項分子の創製、3)安定開殻π電子系分子の集積化による機能開拓、4) それらの成果を応用した新規機能性光学材料の創製、を検討しています。
参考文献
- Stimuli‐Induced Controls of Magnetic and Photophysical Properties Using Liquescent Open‐Shell Ionic Molecular Systems, S. Suzuki, R. Tanaka, R. Shu, T. Naota, ChemPlusChem, in press (DOI: 10.1002/cplu.202400132)
- Temperature‐Dependent Modulation of Short‐Wave‐Infrared Light Transparency Based on Associated Structures of a Liquescent Nickel(III) Complex, S. Suzuki, R. Shu, D. Shiomi, T. Naota, Small, 20, 2305668 (2024).
- On‐Demand Control of Short‐Wave Infrared Light Transparency Based on Stimuli‐Responsive Association of Tetrathiafulvalene Radical Cations, S. Suzuki, T. Sakai, S. Takagi, T. Naota, Angew. Chem. Int. Ed., 62, e202308570 (2023)
- 安定ラジカルカチオン種が示す奇抜な性質と機能, 鈴木修一, 小嵜正敏, 直田 健, 有機合成化学協会誌, 80, 843 (2022).
- Hysteretic Control of Near‐infrared Transparency Using a Liquescent Radical Cation, S. Suzuki, D. Yamaguchi, Y. Uchida, T. Naota, Angew. Chem. Int. Ed., 60, 8284 (2022).
- ニトロニルニトロキシドラジカルを基盤とした開殻π造形, 鈴木修一, 小嵜正敏, 岡田惠次, 有機合成化学協会誌, 75, 955 (2017).